2010年7月24日土曜日

生活目線でがんを語る会 2010/7/23 結果ご報告【追記あり】

7/23 東京ミッドタウンのシスコシステムズ セミナールームにて、生活目線でがんを語る会に参加してまいりました。

当日Ustreamでストリーミング放送されたものの録画が公開されてますので、これにてご報告とさせていただきます。

開催日時:2010年7月23日(金曜日) 19:30〜10:15
場所:東京ミッドタウン・タワー21F シスコシステムズ合同会社 セミナ ールーム



会場となった東京ミッドタウン。

シスコシステムズさんのセミナールーム。


最前列左側テーブルの二番目に座ってるのがおいらです。いやっはっはwここで観てても落ち着きないのわかりますなあww

僕の登壇はオオトリ。一番最後です。二時間半超という長さだけど、出来れば全部観て欲しいなと思います。それぞれ思う事考える事、色々あると思います。また、リアルタイムで視聴している方々の反応が背後で画面に表示されて、観ていてこれも考えさせれられました。僕の時はそんなん観てるよゆーなかったんですけどね。表示は後ろだし。

ぶっちゃけもう、会場は立派だわ、スタッフはすげーは、機材もスゲーは、他の登壇者の話は熱いは、しかもどんどんヒートアップしちゃって、長くなるわwで、もう出番がきた時はきんちょ~のピークでございました。長くしちゃいかん、はよ終わらそ、というプレッシャーもあったのは主催者側には内緒ですwだって会場の都合とか懇親会の予定が詰まってると思ってたんだもん。やすゆきさんにはそんな事考えんで、と言われたけど。

事後の懇親会では、登壇された方、スタッフ(みなさん手弁当)、参加者が参加して色々とお話させていただくことができました。本イベントのきっかけとなった大阪のあまのゆかさん(彼女自身が現在乳がんで闘病中)とは、ほとんど話す機会が無いまま終わり、それが心残りでした。Twitterでやりとりしてて、あれだけお話したいと思ってたのに、いざとなると言葉が出て来ない。なんとも情けね~>俺。

後、会場を貸していただいたシスコシステムズの方とのお話も面白かったです。医療システムなども作られているとのことで、現代医療の抱える問題をよく御存じでした。医療訴訟の話や電子カルテの話。カルテ共有がもっとオープンにならないか等など。

そうそう、これは東京行く途中本を読んでて知ったんですけど、海外には、癌登録制度があって、癌患者の治療経過を逐一補足して、今後に役立てるというシステムが成立してるそうなんですが、日本はそれが遅れてるらしんですよね。癌大国でありながらこの体たらく。なんとかせにゃならんじゃないかな、と思いました。いや思うだけじゃダメなのな。動かないと。

もう一つだけ。
今回Twitterなどで沢山の方からメッセージいただいたわけなんですけど、「貴重なお話ありがとうございました」というのが多かったのが、実はちょと気になりまして。

今や癌は二人に一人がなる国民的病気。口を開けば、「実はうちの父(母)が…」という方は非常に多いと思います。だから、みんな本当は色んな話を持ってるんですね。僕の経験だけが特別なんかじゃない。誰にも起こりうる事なんですね。他の登壇者の方も、持ち時間関係なく、沢山思いの丈をぶつけていらした。言いたい事は山ほどあるんです。

しかしそんな思いを公開して、共有する場というのが実はそんなにない(僕が知らないだけかも、ですけど)。いやさ、実際はあると思うんだよね、患者会、がんサバイバーによる会が。ただ普段気にしてないから知らないだけ、あるいはネットという今の僕にとって身近な場で目にしないだけなんだろうな。貴重だったのは、実は僕の話の内容じゃなくて、こう言う場だったんです。Usreamというツールは、僕の様な人間にも簡単に目にする事のできる、新しい、しかも強力なメディアなんだと今回改めて思いました。希くば本イベントが沢山の方々の思いを掘り起こして、改めて共有する場を作り出すきっかけ、流れとなることを願っています。

ちなみに主催のやすゆきさんによれば、えくすぺさんのイベントは従来ネット系のテーマが多かったらしいんですが、前回は産科小児科の勉強会だったそうです。医療系二発目。次回もまた同じような形式で行われるかはわかりませんし、触発されたまったく別のグループによって似たようなイベントが行われるかもしれません。えくすぺさんでやる場合は、今回の反省を踏まえ(多分一人当たりの持ち時間が足りなかった事を痛感されたのだと思う)もっと集約された形でやりたいとの事でした。

なお、私の発表内容ですけども、何分こういう場に不慣れなもので、当初予定していた内容の1/10も語らずに終わって仕舞いました。そこで、元々用意してあった原稿を公開し、ご理解の助けとしていただきたく思います。内容のほとんどは、癌にまつわるあらゆる質問を想定して、過去のmixi日記やメッセージなどでの私の発言を踏まえ整理してみたものです。実際かかったお金も領収書から算定しようとおもったんですが、一部失われていて正確さが失われそうだったのでやめました。
ぶっちゃけた話、本来このブログでぼちぼち綴っていこうとしていたものです。が、ずっと作業が滞っておりました。今回改めて発表のためにまとめることができたのは、自分自身の理解の助けともなって、良かったと思います。素人故のつっこみどころもあると思いますので、ご覧になる方はその辺割り引いてみて下さい。

最後に。
当日会場では、Twitterのフォロワーでありmixiのマイミクにもいらっしゃる方達とお会いすることができました。皆さんそれぞれの事情を抱え、それでも前向きに生きてらっしゃる素晴らしい方達でした。素敵な人たちに出会えるキッカケを頂いた事にも感謝いたします。

【追記】7/25 10:18
Toggerにまとめができてます。

2010年7月20日火曜日

【再告知】「生活目線でがんを語る会」に参加、登壇します。

今週末の話となりましたので、再告知。当日のスケジュールも確定したようです。
19:30 「語る会」開始:
登壇して頂ける人に自身の経験を語ってもらいます。簡単な自己紹介から始まって、どんな「がん」なのか?いまどういう状況なのか?生活をする上で感じたことは何か?など。これが約10分程度。次に会場及びTwitterからの質疑応答を受けてもらいます。これが10分。一人の登壇者につき、20分を基本としたいと思います。

あまのゆかさん (19:40〜20:00)
上野初仁さん (20:00〜20:20)
ラムダさん (20:20〜20:40)
ーーーー休憩 (20:40〜20:50)ーーーー
匿名Mさん (20:50〜21:10)
匿名Sさん (21:10〜21:30)
伊藤人二さん (21:30〜21:50)

21:50 全体の質疑応答:
22:00 クロージング:

となっております。

申し込みはすでに締め切られた模様。当選された方には通知が行ってるはずです。また当日の様子はUstreamで中継されるとのこと。ご興味のある方は是非ともご覧くださいませ。

トップのあまのさんは、体調との兼ね合いもありますので、もしかすると当日は大阪のご自宅からTV電話にて参加することになるかも、とのこと。個人的にとてもお会いしたい方なのですけども、無理はしてもらいたくないですね。またいつでもお会いする機会はありますし。


当初私はその日のうちに帰宅するため、早めに登壇させてもらいとっとと帰る予定でしたけども、あまのさん含む他の登壇者の方のお話も聞いてみたくなり、最後まで残ることに致しました。その結果どういうわけか最後の登壇となっているようなんですが、ま普段からプレゼンや壇上での発表とは縁遠い生活をしておりますので、多少の不出来は大目に見てくださいまし。

2010年7月7日水曜日

「生活目線でがんを語る会」に参加、登壇します。

ブログを放置状体で非常に心苦しいのですが…昨晩正式に参加希望のメールを送信したのでこちらでも改めて告知。

「生活目線でがんを語る会」に参加、登壇します。


以下主催者より


「生活目線でがんを語る会」というのを2010/7/23に六本木でやります。


キャパは全部で約100名くらい。Ustreamでネットに実況中継します。Twitterからの質問も受け付けます。


今回は、がんという病気のテクニカルな側面ではなく生活目線で、つまりがんにかかるってどういうことなのか?何が起こるのか?お金はどれだけかかるのか?などなどを今がんと闘っている人、かつて闘っていた人、家族が闘っているのを経験している人に登壇してもらって話を聞く、対話する、質問する、という勉強会です。つまり病気のテクニカルな部分ではないところを共有しようというのが目的です。がんそのもののハナシはいっぱい本も出てるしね。


「生活目線でがんを語る会」7/23 19:30スタートです。



当日は実名で登壇、自己紹介他質疑応答など30分ほど持ち時間があるようです。僕としては、

「生活目線でがんを語る会」7月末開催予定です。男性のみなさん、パートナーが「がん」って診断されても慌てないための準備と考えて頂けたらと。

http://twitter.com/yasuyukima/status/15668551807

という主催者の一言が参加を決める一押しとなりました。上手くお話しできるかわかりませんが、自分の体験の中からお伝えできることがあればいいな、と思っています。



当日の様子は、上述のようにUstreamでリアルタイムに中継されるようです。もし当日会場に来たい、他の参加者の話なども聞いてみたい、という方がいらっしゃいましたら、下記の申し込みフォームからお願いします。



https://spreadsheets.google.com/viewform?formkey=dG1fcHhYcFJsdTgwT3haVmZHVWJob0E6MQ

参加者多数の場合、抽選になるとのこと。

2009年11月17日火曜日

入院1

まるで身重であるかのように腹の大きくなった妻の姿。この産婦人科の待合室では実になじんで見えた。しかしこれは新しい生命の証などではなく、どす黒く渦巻いた不安の象徴だったのだ。二時間半ほど待ってようやく呼ばれ、中待合室に入った。ほどなく診察室に呼ばれ、妻を支えながら入っていった。

中では少し頭のうすくなった男性医師が座っていた。表情も声も若々しいところからすると、自分とは10歳も離れていないように思った。いわゆる中堅どころなのだろう。ようやく順番が回ってきたこともあって、少し安心した。

ざっと紹介状に目を通し、すこし問診。そのあとベッドに横たわらせて腹部の触診。「うん…まあ腫瘍ですね。癌です。」いまさら驚きはしないが、やっぱり辛い。

ふと先生は後ろを振り返り、後ろでエコーの機器などの操作をしていた若い女性スタッフに声をかけた。「Kくん。君がこの患者さんを担当してください。」

え?先生じゃないの?診てくれるのは。

奥にいたのは、学生さんかと見まがうような女医さんだった。多分妻よりずっと若いだろう。ずっと研修医かスタッフだと思ってた。失礼ながら多分その時の僕はぽかんとした顔をしていただろう。ふーむ。でもまあ、ちょっと安心できるかな。若い女医さんが担当するというのなら、そんなに病状が重い訳じゃないのかも知れない。(後に述べる機会があると思いますが、先に書いておきます。その時の私の判断は誤りです。K先生はお若いながらとても優秀な医師でした。今でも心より感謝しています。)

その後、細胞をとって検査をするというので、妻はとなりの処置室に移動することになった。処置室はさすがに男性が入るところじゃないので、中待合室にいたところ、診察室から「ご主人、ちょっと」と呼ばれた。中に入って医師の前に座る。

「んー。奥さんの病状ですが、かなり厳しい状況と思ってください。」

「! …はい。」

ここに来ても、心の奥ではまさかとは思っていた。誤診であれば、と。そして例え癌であろうと今の医学なら切れば治る、と。しかし…。

この時僕はようやく死の可能性を意識した。なんで?ついこの間まで普通に生活してたのに。家族で遊びに行ったりもしたのに。

数分で妻は処置室から戻ってきた。とにかく今はまだ妻は生きてる。不安を抱えながらも。僕が不安がってちゃいけない。

この後K先生を交え、この先のことについて相談があった。こうなった以上、何が何でも入院させてもらって手術でもなんでもやらせたい。「どうしますか?」と聞かれ、「入院させてください!」と即答した。早速病室の空きが調べられ、手続きがとられた。

それから、この後消化器科を受診することになった。元の癌の発生源がどこなのか、あるいは転移がどこまで進んでいるか調べるということだった。他にもいくつか検査項目があるようだった。

婦人科の受付で入院に関する書類を受け取り、まずは消化器科へ行った。ここも数人の患者が順番待ちしていた。すでに一時近かったが、患者の数はどこもあまり減ってないようだった。じりじりしながら再び順番待ち。幸いにして20分ほどで中待合室に呼ばれた。ここではいくつか問診した後、胃カメラなどの検査の予約をして終わった。そして、血液検査、エコー、レントゲン。歩くのも辛くなってきた妻を支え検査室を回った。すべての検査が終わり、ようやく婦人科病棟に向かったのは三時を回っていた。

病棟でまた入院に関する説明を受けた。入院手続きもすませないといけないらしい。車に残してきた入院用品一式を取りに戻りがてら、一回で入院手続きを済ませてきた。病棟にもどると、病室はもう決まっていたようだったが、姿が見えない。看護師さんに聞くと、処置室でお腹の水を抜いているらしい。

処置室はもちろん部外者立ち入り禁止なので、病室で待っていた。水を抜くのはかなり辛かったらしく、げんなりした顔で妻が戻ってきた。ここにきてようやく落ち着くことが出来た。何一つ解決したわけではないが、妻の顔を見たら安心した。妻もそうだったのだろう。婦人科での検査は痛かった、とか水は麻酔打ってから抜いたよ、とか少々饒舌だった。

そのうちに夕食が運ばれてきた。病院食らしく、簡素で、正直に言わせてもらえば味気なさそうだった。元々食欲のないまま一ヶ月過ごしてきた妻はほとんど手を付けなかった。

そうそう。これからのことも打合しておかないと。まず妻が心配してたのは、子供会のことだった。とりあえず直近の行事について指示をもらった。子供会の役員メンバーにはやはり話しておかなければならないだろう。

それから生活に関すること。給料の振込先と使途。恥ずかしながら僕はどこの金融機関を利用し、どういう貯蓄をしているなどのことすら知らなかった。もちろん通帳の所在はおろか利用の仕方も知らない。お金に関することはすべて妻任せだったのだ。これも妻の手帳に当面必要な処置を書いてもらった。

ふと気が付くと、もう辺りは暗くなっていた。子供たちが心配して待ってる。帰らないと。

後ろ髪を引かれる思いではあったが、病院を後にした。病院を立つ前にケータイでミクシィ日記にメールを打っておいた。

2008年05月01日19:14

長い一日でした

今日はちょっと朝からごちゃごちゃありました。もしかすると、当面は顔を出せないかも。詳しくはまた後日。
家に帰ると、子供たちは食事を済ませて遊んでいた。姉が心配して来てくれていた。親父は心配のあまりふてくされて自室にこもっていた。母と姉に概要を説明した後、父にも報告しておいた。子供たちを風呂にいかせ、床につかせた。十時を少し回っていた。くたくただった。ふと、病院にいる妻は眠れているのだろうか?と心配になったが、考えても仕方ないので休むことにした。本当に長い一日だった。

2009年11月2日月曜日

そろそろ…

再開しないと。

前回書いてみてあまりにも辛かったんで、しばし放置しておりましたけども。
妻の一挙手一投足はともかく医師からの説明や周囲の状況など記憶があやふやになってまいりましたので、またぞろ間を見て書き出したいと思いまする。

2009年5月13日水曜日

発病、そして病院へ

前回、前々回と少々かぶる内容になってしまいますが、流れを整理するために、書き留めてあったメモをもとに、4月半ばの出来事を時系列で追っていってみます。

2008.4.15(火)

食欲不信を感じていたので、近所のNクリニックで、娘の診察のついでに自分も診察を受ける。胃炎の疑いがあるといわれ、胃腸薬を処方される。

2008.4.18(金)

胃腸薬を飲んでも一向に食欲不信が改善されず。母に別の医者への診察を勧められるが、現在治療中だということで止めておく。

2008.4.20(日)

この胃炎はきっと日頃のストレスから来てるのだろう、と、”おかあさんのストレス解消”と称して、家族で浜北森林公園に出かける。自然な環境で遊べば、少しは気が晴れるかもしれない。
アスレチックは無理だったが、万葉の森の散策と鷲沢風穴の探検には、子供と一緒に参加できた。子供達も僕がずっとPTAやら仕事やらで忙しかったせいもあり、遊びに連れて行かなかったので、久々の外出に非常に喜んでいた。妻は風穴から出た後、少し疲れたと言って休んでいた。そんな妻を遠目に、子供達と遊んでいた。せっかく遊びに出たのに、やっぱり元気が無いな、と少し寂しく思った。

事実上、これが家族で遊びに出かけた最後のイベントとなった。

2008.4.22(火)

Nクリニックで再び診察。エコー検査をしてみる。その結果、湖西病院で見てもらった方が良いだろうという事に。紹介状を書いてもらう。

夜妻から話しを聞いたが、病名などがわからないので、わずかながらの不安を覚えただけにとどまる。内心、胃潰瘍あたりの覚悟はしていた。この時点で婦人科に掛かる事すら知らなかったのだ。

2008.4.23(水)

湖西病院でエコー検査。

たまたま外出先で妻からのメールを受け取る。

「卵巣腫瘍の疑いがあるって…」と書いてあった。

卵巣腫瘍?
腫れ物?

その程度の知識しかない僕は、会社へ戻るとすぐ「卵巣腫瘍」のキーワードで検索してみた。

All Aboutにて「卵巣腫瘍」に関する記事を発見。
卵巣にはさまざまな腫瘍ができますが、その中には大きく分けて、良性のことが多い「卵巣のう腫」悪性の事が多い「充実性腫瘍」があります。卵巣の腫瘍のうち約9割が「卵巣のう腫」で残りの1割が充実性腫瘍なのですね。
なんだ、ほとんどのケースが良性じゃないか。最悪卵巣の悪い部分を切れば大丈夫なんだろう。

そう思った僕は自宅に帰り、妻にその様に説明。腫れ物ったって出来ものの一種みたいなもの、とさほど深刻に受け止めていなかった。

2008.4.25(金)

引き続き湖西病院で検査。この日はMRIだった。この辺りから、体調はどんどん悪くなり、朝起き上がれないようになった。それに伴い、腹の膨らみも大きくなりつつあった。なんだ?これは。何が起っているのだ?

朝起きられない妻に代り、5時半に起きて、子供達の朝食を作るようにする。僕の昼食も、愛妻弁当ではなく、マクドナルドやコンビニの弁当になった。

夜、入浴前に脱衣所でひとり考え込んでいる妻を見つけ、話しかける。
「不安なのか?」
「うん…」
「大丈夫だよ、きっと。9割り方良性だって言うし。」
根拠も何も無く、ただそう言って慰めるしか無かった。

2008.4.26(土)

小学校で授業参観、そしてPTA総会があった。授業参観はもちろん、PTA総会にも出席する。総会は前年度役員としてだ。夜は、先生方との懇親会だった。病の妻を置いての飲み会出席は、少々引け目を感じたが、先生方との交流を深めておく事は何かの役に立つかもしれない、という打算も正直あった。夜遅く帰ったら妻はもう寝ていた。寝ているときはそんなに苦しそうに見えなかった。きっと大丈夫。

2008.4.28(月)

湖西病院に検査結果を聞きに行く日。すでにお腹はかなり大きくなって来ていた。会社を休み付き添う事にする。

待合室で待っていると、妻が沈んだ表情で診察室から出て来た。

「先生に卵巣がんの疑いがあるって言われた…。話があるそうだから一緒にきて…」

癌?まさか。でも癌って最近じゃかなり治るようになって来てるんだよな。言うほど心配な事ではないのかも。

妻に招かれて診察室に入ると初老の担当医がいらっしゃった。先生の口からも同じ主旨のことを聞かされる。

そして湖西病院では治療は出来ないので、浜松の医療センター宛に紹介状を書くそうだ。なんでも先生の元同僚で優秀な先生がいらっしゃるとのこと。ここでは診ることができない?そんな大変な病気なのか?

最後に「良性ではないんですか?」と聞いた僕に、先生は「良性じゃ腹水は溜まらん」とだけおっしゃって去って行った。そうなのだ。ネットで良性と悪性の違いを調べた時、一つだけ気になっていたのはそれだった。だが僕は「ポジティブに考えよう」と、そのことには目をつぶっていた。

予約は5/2だった。




自宅に帰り、母、そして父に伝えた。父とは実に三年ぶりの会話だった。当日のミクシィ日記から拾ってみる。
3年ぶりにオヤジと口をきいた。

昭和一桁うまれ、建具職人一徹55年のクソ頑固なオヤジと喧嘩して3年。
同居してても一切口をきかなかった。
こちらも意地っ張りなとこだけはオヤジ譲り。
このまま死ぬまで口をきかんだろうと考えていたが…。

おれのつまらん意地もちんけなプライドもどうでもいい状況なので、頭を下げた。
そうなのだ。ことこうなったからには、子供達の事もある。全面的に協力を仰がなければならない。

妻は最初気丈に父に話していたが、とても最後まで続かず、泣き出し始めた。僕は肩を抱き寄せ、ただただ「大丈夫だよ」と言い聞かせるしか無かった。

2008.4.29(火)

父に伝えたとき、たまたま義兄が来ていたので、すぐに実姉にも伝わっていた。心配して訪れた姉は「不安を抱えたまま予約の日まで一週間過ごすのは酷だよ。今すぐ豊橋の市民病院にでも行ってみたら?」と勧めてくれた。

僕は二つの理由で断った。

まず、すでにNクリニック、湖西病院、浜松医療センターとなんだかたらい回しにされた感があったこと。どこに行っても検査検査。すぐには治療は始まらない。今から新しい病院に行っても、同じ事だろう。紹介状が無い分、下手すりゃさらに治療が遅れるだろう。

もう一つ。医療に関しては、浜松の方が数段上だろうという考えもあった。後にこれは誤解であった事を知る。後日詳細を書くが、浜松の医療レベルは確かに高いのは間違いないが、豊橋市民病院の婦人科も実は評価が高かったのだ。

ともあれ、会社を休み続けるわけにはいかないので、この日は妻を残して出社した。

2008.5.1(木)

腹の膨らみはますます増していた。すでに妊婦の様に腹が膨らんでいた。妊婦の場合、数ヶ月掛けてあの大きさになるのだが、腹水の場合、わずか二週間ほどで急激に増えるのだから溜まらない。食事の方も、すでに二週間ほとんど摂っていなかった。それでいて腹水のために体重は増えているようだった。

翌日に検査を控えたこの日の朝。子供達を学校に送り出し、出社前に妻の様子を見に行く。この日もとても辛そうだった。何より日に日に大きくなる腹を抱え、部屋の中で一人で不安でいるに違いない。これはなんとかしなくては。

妻の姿を見てそう思った僕は、すぐさま会社に電話して休ませてもらうようにした。まだ診察開始前だったが、すぐにでも入院できるよう荷物を車に乗せ、妻を連れて湖西病院に向かった。受付で担当の医師にアポをとり、なんとか予約の日を前倒ししてもらえる様頼み込んだ。妻の辛そうな表情を診た先生は、事情を察し、手早く手続きを済ませてくれた。看護士から医療センターの場所と受付手順を聞き、その足で浜松へ向かう。

途中、妻の実家にケータイから電話した。いくらなんでも、もう両親に知らせておかなければならない。これまで妻は心配させることを畏れ何も話してなかったのだ。妻が義母と会話しているうちに、車は佐鳴台を通り、左手に医療センターが見えて来た。僕にとっては懐かしい。昔は仕事でこの辺りをよく通ったが、まさかここに家族を入院させることになろうとは。

とは言え、患者(の付き添い)として初めて来た大病院。さっぱり勝手が分からなかった。玄関前は非常に混雑していたので駐車場に向かう。第一、第二、第三と三つある駐車場はどれも車でいっぱい。一番遠い第三にかろうじて駐車することができた。妻はもう歩く事すら大変なのだが、仕方ない(後にこういう場合は玄関で降ろせば良かった事を知る)。かばいながらゆっくりと向かう。

受付では、話が通じていてすぐに手続きを済ませてもらえた。事務員の指示通り二階の産婦人科へ向かう。ここもまた非常に混雑していた。お腹の大きな妊婦から、子供連れの外国人一家まで。年配の女性もいる。およそ数十組の患者が順番待ちしていた。10時過ぎに着いたのだが、予約無しの初診だったのでずいぶん待たされてやきもきした。12時を過ぎようとした頃、ようやく順番が回って来た。