2009年11月17日火曜日

入院1

まるで身重であるかのように腹の大きくなった妻の姿。この産婦人科の待合室では実になじんで見えた。しかしこれは新しい生命の証などではなく、どす黒く渦巻いた不安の象徴だったのだ。二時間半ほど待ってようやく呼ばれ、中待合室に入った。ほどなく診察室に呼ばれ、妻を支えながら入っていった。

中では少し頭のうすくなった男性医師が座っていた。表情も声も若々しいところからすると、自分とは10歳も離れていないように思った。いわゆる中堅どころなのだろう。ようやく順番が回ってきたこともあって、少し安心した。

ざっと紹介状に目を通し、すこし問診。そのあとベッドに横たわらせて腹部の触診。「うん…まあ腫瘍ですね。癌です。」いまさら驚きはしないが、やっぱり辛い。

ふと先生は後ろを振り返り、後ろでエコーの機器などの操作をしていた若い女性スタッフに声をかけた。「Kくん。君がこの患者さんを担当してください。」

え?先生じゃないの?診てくれるのは。

奥にいたのは、学生さんかと見まがうような女医さんだった。多分妻よりずっと若いだろう。ずっと研修医かスタッフだと思ってた。失礼ながら多分その時の僕はぽかんとした顔をしていただろう。ふーむ。でもまあ、ちょっと安心できるかな。若い女医さんが担当するというのなら、そんなに病状が重い訳じゃないのかも知れない。(後に述べる機会があると思いますが、先に書いておきます。その時の私の判断は誤りです。K先生はお若いながらとても優秀な医師でした。今でも心より感謝しています。)

その後、細胞をとって検査をするというので、妻はとなりの処置室に移動することになった。処置室はさすがに男性が入るところじゃないので、中待合室にいたところ、診察室から「ご主人、ちょっと」と呼ばれた。中に入って医師の前に座る。

「んー。奥さんの病状ですが、かなり厳しい状況と思ってください。」

「! …はい。」

ここに来ても、心の奥ではまさかとは思っていた。誤診であれば、と。そして例え癌であろうと今の医学なら切れば治る、と。しかし…。

この時僕はようやく死の可能性を意識した。なんで?ついこの間まで普通に生活してたのに。家族で遊びに行ったりもしたのに。

数分で妻は処置室から戻ってきた。とにかく今はまだ妻は生きてる。不安を抱えながらも。僕が不安がってちゃいけない。

この後K先生を交え、この先のことについて相談があった。こうなった以上、何が何でも入院させてもらって手術でもなんでもやらせたい。「どうしますか?」と聞かれ、「入院させてください!」と即答した。早速病室の空きが調べられ、手続きがとられた。

それから、この後消化器科を受診することになった。元の癌の発生源がどこなのか、あるいは転移がどこまで進んでいるか調べるということだった。他にもいくつか検査項目があるようだった。

婦人科の受付で入院に関する書類を受け取り、まずは消化器科へ行った。ここも数人の患者が順番待ちしていた。すでに一時近かったが、患者の数はどこもあまり減ってないようだった。じりじりしながら再び順番待ち。幸いにして20分ほどで中待合室に呼ばれた。ここではいくつか問診した後、胃カメラなどの検査の予約をして終わった。そして、血液検査、エコー、レントゲン。歩くのも辛くなってきた妻を支え検査室を回った。すべての検査が終わり、ようやく婦人科病棟に向かったのは三時を回っていた。

病棟でまた入院に関する説明を受けた。入院手続きもすませないといけないらしい。車に残してきた入院用品一式を取りに戻りがてら、一回で入院手続きを済ませてきた。病棟にもどると、病室はもう決まっていたようだったが、姿が見えない。看護師さんに聞くと、処置室でお腹の水を抜いているらしい。

処置室はもちろん部外者立ち入り禁止なので、病室で待っていた。水を抜くのはかなり辛かったらしく、げんなりした顔で妻が戻ってきた。ここにきてようやく落ち着くことが出来た。何一つ解決したわけではないが、妻の顔を見たら安心した。妻もそうだったのだろう。婦人科での検査は痛かった、とか水は麻酔打ってから抜いたよ、とか少々饒舌だった。

そのうちに夕食が運ばれてきた。病院食らしく、簡素で、正直に言わせてもらえば味気なさそうだった。元々食欲のないまま一ヶ月過ごしてきた妻はほとんど手を付けなかった。

そうそう。これからのことも打合しておかないと。まず妻が心配してたのは、子供会のことだった。とりあえず直近の行事について指示をもらった。子供会の役員メンバーにはやはり話しておかなければならないだろう。

それから生活に関すること。給料の振込先と使途。恥ずかしながら僕はどこの金融機関を利用し、どういう貯蓄をしているなどのことすら知らなかった。もちろん通帳の所在はおろか利用の仕方も知らない。お金に関することはすべて妻任せだったのだ。これも妻の手帳に当面必要な処置を書いてもらった。

ふと気が付くと、もう辺りは暗くなっていた。子供たちが心配して待ってる。帰らないと。

後ろ髪を引かれる思いではあったが、病院を後にした。病院を立つ前にケータイでミクシィ日記にメールを打っておいた。

2008年05月01日19:14

長い一日でした

今日はちょっと朝からごちゃごちゃありました。もしかすると、当面は顔を出せないかも。詳しくはまた後日。
家に帰ると、子供たちは食事を済ませて遊んでいた。姉が心配して来てくれていた。親父は心配のあまりふてくされて自室にこもっていた。母と姉に概要を説明した後、父にも報告しておいた。子供たちを風呂にいかせ、床につかせた。十時を少し回っていた。くたくただった。ふと、病院にいる妻は眠れているのだろうか?と心配になったが、考えても仕方ないので休むことにした。本当に長い一日だった。

2009年11月2日月曜日

そろそろ…

再開しないと。

前回書いてみてあまりにも辛かったんで、しばし放置しておりましたけども。
妻の一挙手一投足はともかく医師からの説明や周囲の状況など記憶があやふやになってまいりましたので、またぞろ間を見て書き出したいと思いまする。