2011年9月3日土曜日

「希望という名の絶望―医療現場から平成ニッポンを診断する」読了。

がんの勉強会を主催された、yasuyukiさんの記事

これはすごかった。ナニがスゴイのかといえば、その切り口と簡潔過ぎる文体が。

元は「新潮45」という月刊誌に2009年から連載されていた記事をまとめた現役の肺癌診療の専門の医師、里見清一さんが書いた散文集、とでもいえばいいのか、でも冒頭の「はじめに」でも書かれているようにこの2年間に起こったことについて書いているはずなのに3.11以降の日本でいま、読み返してもけっこう鋭いことが書かれている。ちなみに平成版「白い巨塔」の監修もしてるので冒頭はそのハナシから始まるのね。

「希望という名の絶望」は辛口ながらも最後でホロっとさせるスゴ本。
こちらをfacebook経由で読んで、さっそくぽちって見た。到着後、積ん読させることなく早速読み始める。買った本をどれも読みかけで放置している最近では珍しい現象(^^;。以下はその感想。


本書はがん臨床医のエッセイ。三章構成。医療以外の話題の多い二・三章前半は世の中の諸事を快刀乱麻宜しくバッサリ斬りまくる部分が潔く心地よい。もっとも当然だが同意できない見解も多々あるんで、そこはそれ、著者の意見として割り切って読んだ。スポーツに関しての記述など、割と専門外の事については無頓着なんだな、と思ったり(^^;そこかしこで曾野綾子からの引用が出てくるのには苦笑するしかなかったけど。

で、本書で読むべきなのは、yasuyukさんの紹介文でも取り上げられている部分、第一章にて現場で末期癌患者を見つめ続けた経験から導かれる生と死への洞察である。ここには、甘っちょろい感傷や上っ面の正義感なんぞ出てこない。がん患者にとって希望とは何か。希望を保つというのはどういう事か。僕自身、妻が末期がんである事を告知されてからつらつら考えていた事とかなり重なる。

章の、そして本書のタイトルともなっている「希望」とは何なのか?

一般論としては「希望」とは希(こいねが)うもの、滅多に叶わない望み。逆境の中にのみ存在しうる。明日はどうなるだろう?と不安をはらみながらも恙なく過ごす幸福とは逆に位置するもの。

がん患者にしてみれば、治癒の可能性、治療法が残されていることが「希望」なのだ。そしてそれはまた「死の先送り」である。さらに我々を裏切る続けるものでもある。病状が進めば段々にダウングレードしていく「希望」。希えども叶わないものなのだ。

「希望」が、治療法が尽きれば、あとは苦痛を取り除くことを一意とする緩和ケア、ターミナルケアしかない。「希望」を捨てることで、心の平安を得る。積極的治療をせず、対症療法のみとする。筆者による患者にとっての「希望」の対語は「絶望」ではなく「平安」なのである。ホスピスには「希望」がないかわりに、それを与える。これは筆者に依れば偽善である。

この筆者のターミナルケアやホスピスに関しての意見は僕としては今の時点では納得いってない。ただディグニティセラピーについての挿話は、死を間近に迎えた妻の態度からうなずける部分ではある。それ以前に、一体自分は闘病中、その「希望」、「平安」のどちらかでも妻に与える事ができたのだろうか、と考えてしまう。外科手術で卵巣を取り去ればきっと助かる、腫瘍は取りきれなかったが化学療法で助かるはず、と次々と「希望」のダウングレードを妻に強いた。苦痛は酷くなり抗がん剤も使えなくなるほど衰弱した。なすすべが無くなり後は体と心の苦痛を取り除くしかなくなった。身体的苦痛はともかく心の「平安」は得られることが出来たのか?24時間覚醒し続けた妻に夜通し手を握り語りかけ、あげく罵声を浴びせられた。泣きながら妻へ懺悔を乞いながらも、すでに声を発する力もなく。ついぞ僕への言葉は聞くことができなかった。妻を失った今でも答えは出てない。未だに悩んでいる。

読み終わり、少し一つ気になったのは、その「希望」というもの。著者はあくまでも個人の生への希望ととらえる。が、それだけなのか?未来に繋がる子供こそは「希望」じゃないのか?だって人はいずれ死ぬのだから。

三章の最終節。筆者なりの医者という存在についての見解が語られる。
医者とは、夜中に叩き起こされて患者を見送る存在である。
真夜中であろうとなんだろうと、患者の死を見届けるのは医者(臨床医)の特権であると。また(自分が患者であるならば)子供にも見せたいと。

僕も同じように考え、子供達に妻の衰えゆく姿を見せ、残り幾ばくかもない命であることを伝え、今生の別れに立ち会わせた。子供達に、妻の記憶を刻みつけたかった。懸命に生きようとする姿を見せたかった。生と、死のなんたるかを教えたかった。いや、父母の健在な僕だって子供達同様なんたるかなんて知らないんだけどさ。

妻はどう思っていたのだろう。闘病の苦痛を共有したいとまで願っていたが、ついぞ妻の心の声を聞くことが出来なかった自分。だが、病室で母の手をしっかり握り、療養中は散歩により添っていた子供達の存在は、妻にとって己の分身が未来へと引き継がれていく「希望」そのものになり得なかったのだろうか?また安らぎとならなかったか?それこそが、妻にとっての「希望」となり、「平安」であったのだと願わずにはいられない。

そしてまた、いつの日か自分が旅立つときの、最後の「希望」でもある。