2010年9月29日水曜日

GW(後編)

妻を気遣い、いつもよりゆっくり目に走って自宅についた。見送りに来てくれた兄夫婦からは、次回入院の際には必ず連絡をよこすよう言われた。

こんなにすぐに家に戻るとは思わなかった。家の中、特に寝室は5/1の朝、慌しく出かけた時のままだった。僕もここ数日は家に帰ると飯を食って寝る事以外碌にしてない。

子供達はかみさんの在所。静かなもんだ。二人でいても、何もやることがない。かみさんはずっと横になっていた。寝室は元々僕の書斎だったので、書棚に沢山の本がある。その中からブラックジャックの文庫版を引っ張り出して読んでいるようだった。僕も妻を置いて出かける気にもならず、ずっと側にいた。そうそう、子供会の事や、家計の事も話し合った。病院では断片的にしか聞けなかった注意事項を聞いて、他の役員に伝える必要があった。毎年恒例GW明けの日曜に行われる地域の草刈の段取りもしなければならなかった。でも出かけるのは後だ。今は女房についていたい。

夜は隣に寝た。久しぶりに手を繋いで寝た。苦しみ、不安が少しでも拭い去れるよう、俺の方に流れ込んできやがれと思って寝た。でも、一度抜いたはずの腹水がまた溜まり始めているらしく、苦しいのかすぐ横を向いてしまった。


次の日もまた重苦しく過ぎていった。
料理は姉が手伝いに来てくれていた。75を過ぎ、ずっと妻に炊事を任せて半ば引退していたも同然の母には、いきなりは大変なのだろう。でも、妻はほとんど食事を受け付けなかった。4月の間と同じだ。家に帰ってから何も摂取してない。水分すらまともに取ろうとしなかった。

夜、本人に確認をして見た。二人とも同じ考えだった。家にいても不安で押しつぶされるばかり。食事もまともにとれない。GWで何も検査が進まなくても、点滴できる分病院の方がマシに思えた。何より異変が起きてもすぐ対処してもらえる。一体これからどうなるのか、さっぱりわかりかねている二人には、その方がよっぽど安心だった。悲しいかな、もはや自宅は安寧の場ではなくなっていたのだ。

翌5/5、こどもの日。子供達は元気に遊んでいるはずだ。ワガママ言ってなければいいけど。妻はしきりに子供達の事を心配していた。特に、子供達が学校にいっている間、何も言わずに入院してしまった事が苦になっているようだ。それは仕方なかろう。

さて。まずは朝、病院に電話して向かう事にした。約束どおり兄夫婦にも連絡して置いた。今回は父も同乗して来た。病院では、兄が車椅子を用意して玄関に待っていてくれた。初日もこうすればよかったんだな。何も駐車場から無理に歩かせる事もなかったんだ。


休みの日の産婦人科の待合室は、当然のことながら無人だった。一度診察してから、と言う事で、そこでしばらく先生の来るのを待った。来たのは、男性の先生だった。病院に来た安心感から、他に誰も居ない待合室で賑やかにしていた僕たち家族を一瞥して、診察室に入っていった。やべえ、よく考えると、先生お休みの所呼び出しくらったのか(汗。

中に呼ばれて、先生に容体を説明した。何より食事をまともにとれないのがまずいと思ったと伝えた。すぐ許可は降りた。再入院だ。

病室は前回と同じ部屋、ベッドだった。4人部屋で廊下側。窓際二つが埋まっていた。父は兄達に送ってもらい、自分は面会時間の終わりまでついている事にした。この日の帰りはコンビニで唐揚げを買って見た。今までそう言う買い食いはした事なかった。

翌5/6。午前中は子供会の草刈の段取りに追われた。自治会と連絡を取り、今年の草刈の手順を伝えた。例年の草刈の段取りがどうにも気に入らなくて、今年はどうしても改革したかった。また機械の手配も行う必要があった。これも他のお母さん役員じゃ無理だろう。午後は再び病院に向かった。子供達はGW最終日。義父母と義妹が子供達を送りがてら病院にやって来た。場所を知らないため、道中は父の案内で来たらしかったが、途中で道を間違えたらしく、えらく大回りをしたようだ。そんな些細な事でも良い笑い話になった。何より子供達と会えたのが嬉しかったのだろう。笑顔を久しぶりに見る事ができた。

帰りは翌日の学校の事も考えて、少し早め帰る事にした。反動で寂しくなってしまわないだろうか?と心配になった。

この年のGWはこうして終った。

2010年9月28日火曜日

GW(前編)

翌5/2。ゴールデンウィークの前日だった。子供達は学校。僕はまず会社に顔を出す事にした。朝は母が早くに起きて来てくれた。姉も来て朝食や弁当を手伝ってくれた。姉と子供達の登校を見送った。しばらくはこの体制で行くしかないだろう。子供達は学校から帰り次第父にかみさんの実家に送っていってもらうことにした。かみさんの実家へ行くのは、GWの恒例行事。ただし今年はとーちゃんもかーちゃんもいない。

出社してまず社長と奥さんに報告した。小さい会社である。悪くいえば色々言えるが、良くいえば家庭的でもある。社長も身内を癌で亡くしているので、よくわかるのだろう。女房の為に、最善を尽くしてやってくれと言ってもらえた。まずは溜まっている案件を片付けた。そして午後の3時頃上がらせてもらった。面会時間は16時からである。この日は内視鏡の検査をしているはずであった。

会社から国道42号、1号線バイパスを経て約45分。これからはしばらくこの道を通う事になるのだろう。

駐車場に停めて真っ先に病室へ行く。病室には疲れた顔をした妻がいた。大腸の検査は散々だったらしい。特に下剤に苦しんだとか。胃カメラも大変だったようだ。僕自身この時点でどちらも経験がなかったので、へぇと頷くしかなかった。

夕刻、主治医の先生が来た。あの若い女医さんだ。妻とは早くも打ち解けているように見える。同性なのが幸いしてるのか。妻の性格もあるのだろう。話をしているうちにGWはどうしようと言う事になった。ひとまず検査結果がでるまでは何もする事が無いそうだ。GW中はもちろん他の検査もできない。病院に居てもなんだから、ひとまず家に帰ったら?と言う事になった。なので翌日退院する事にした。あっけない退院。不安は残るが仕方ない。この時の僕は全く医療にまつわる諸問題に詳しい訳ではなかったが、それでも病床の不足によるのかも、となんとなく思った。

それと、入院した病院の近所に住む兄夫婦が駆けつけてくれた。心配させると思って、何も伝えてなかったが、姉が知らせてくれたようだ。僕とは8つ離れた兄。大手メーカーに勤め、世界中に出張している営業マンだ。心強い事この上なかった。兄は冗談めかして「こんなこともあろうかと、近所に住むことにしたんだよ」と言っていた。

この日も面会時間ギリギリまでいた。帰り際夕食のために、売店によってみたが閉まっていたので、自販機のハンバーガーと唐揚げを買った。夕食はきちんと家で食べるのが習慣になっていたので、ちょっと新鮮ではあった。でもこんな生活も続くのか?

家に帰ったら夕食が用意されていた。変に食べてしまったのでそこそこにしておいた。

翌日5/3。4日続くGWの初日。学校も会社も休み。でもこんな味気のないGWなんて生まれて初めてじゃないか?子供達はいない、女房も居ない。でもまあ迎えに行くからいいか。すぐに会える。

迎えの時間に兄達も来てくれていた。歩くのが辛いだろうと、女房のために、車椅子を病院の玄関からもって来てくれていた。このあたり、さっぱり気の利かない僕に比べやっぱり頼りになる。主治医からは、「何か調子が悪いような事があったら戻ってくるように」と言われた。

慎重に、本当に慎重に車を家に向かわせた。こんなに早く家に戻る事が出来るとは正直意外だった。不安はあるものの、やっぱり嬉しかった。