2010年9月28日火曜日

GW(前編)

翌5/2。ゴールデンウィークの前日だった。子供達は学校。僕はまず会社に顔を出す事にした。朝は母が早くに起きて来てくれた。姉も来て朝食や弁当を手伝ってくれた。姉と子供達の登校を見送った。しばらくはこの体制で行くしかないだろう。子供達は学校から帰り次第父にかみさんの実家に送っていってもらうことにした。かみさんの実家へ行くのは、GWの恒例行事。ただし今年はとーちゃんもかーちゃんもいない。

出社してまず社長と奥さんに報告した。小さい会社である。悪くいえば色々言えるが、良くいえば家庭的でもある。社長も身内を癌で亡くしているので、よくわかるのだろう。女房の為に、最善を尽くしてやってくれと言ってもらえた。まずは溜まっている案件を片付けた。そして午後の3時頃上がらせてもらった。面会時間は16時からである。この日は内視鏡の検査をしているはずであった。

会社から国道42号、1号線バイパスを経て約45分。これからはしばらくこの道を通う事になるのだろう。

駐車場に停めて真っ先に病室へ行く。病室には疲れた顔をした妻がいた。大腸の検査は散々だったらしい。特に下剤に苦しんだとか。胃カメラも大変だったようだ。僕自身この時点でどちらも経験がなかったので、へぇと頷くしかなかった。

夕刻、主治医の先生が来た。あの若い女医さんだ。妻とは早くも打ち解けているように見える。同性なのが幸いしてるのか。妻の性格もあるのだろう。話をしているうちにGWはどうしようと言う事になった。ひとまず検査結果がでるまでは何もする事が無いそうだ。GW中はもちろん他の検査もできない。病院に居てもなんだから、ひとまず家に帰ったら?と言う事になった。なので翌日退院する事にした。あっけない退院。不安は残るが仕方ない。この時の僕は全く医療にまつわる諸問題に詳しい訳ではなかったが、それでも病床の不足によるのかも、となんとなく思った。

それと、入院した病院の近所に住む兄夫婦が駆けつけてくれた。心配させると思って、何も伝えてなかったが、姉が知らせてくれたようだ。僕とは8つ離れた兄。大手メーカーに勤め、世界中に出張している営業マンだ。心強い事この上なかった。兄は冗談めかして「こんなこともあろうかと、近所に住むことにしたんだよ」と言っていた。

この日も面会時間ギリギリまでいた。帰り際夕食のために、売店によってみたが閉まっていたので、自販機のハンバーガーと唐揚げを買った。夕食はきちんと家で食べるのが習慣になっていたので、ちょっと新鮮ではあった。でもこんな生活も続くのか?

家に帰ったら夕食が用意されていた。変に食べてしまったのでそこそこにしておいた。

翌日5/3。4日続くGWの初日。学校も会社も休み。でもこんな味気のないGWなんて生まれて初めてじゃないか?子供達はいない、女房も居ない。でもまあ迎えに行くからいいか。すぐに会える。

迎えの時間に兄達も来てくれていた。歩くのが辛いだろうと、女房のために、車椅子を病院の玄関からもって来てくれていた。このあたり、さっぱり気の利かない僕に比べやっぱり頼りになる。主治医からは、「何か調子が悪いような事があったら戻ってくるように」と言われた。

慎重に、本当に慎重に車を家に向かわせた。こんなに早く家に戻る事が出来るとは正直意外だった。不安はあるものの、やっぱり嬉しかった。

0 件のコメント:

コメントを投稿